熱き心に(3)縦線から力強い〇印
「すごいことですね…」奥様がつぶやかれました。
「要は重力から解放されるピンポイントを見つけるということなので、
ということなのだと、思うので、
そのポイントさえわかれば、どなたでも動きの介助はできる、
はずなのですが、
そのポイントを見つける力の抜き加減がとても難しくて」
もう少しわかりやすく説明できないかな、たかぎさん。
「でしょうね…。」奥様がため息をつかれました。
なにしろ普段は動かない手なので、
その動かせるポイントとか言っても、
初めて見たり説明を聞いた方は、
何が何だかさっぱりというのが本当のところなのです。
でも!
とにかくタカシさんは横線が書けたので、どんどん行きますよー!
「お上手です!タカシさんが線を横に引っ張ったの、しっかりわかりましたよ。では今度は縦の線を書きましょうね。
縦です。こう上から下へ。上から下へ。いいですか。ではお願いします!」
上から下へ。
上から下へ。
すっと線が下りました。
「そうです。そうそう。縦の線もOKですね! では、ここから本番です。イエス・ノーの質問への答えに、丸とバツを使いたいんです。それがわかればいろいろお尋ねして答えていただけますからね。
丸はね、こうして下から時計回りに来るっと1回。もう一度一緒に書きますね。下から、時計回りに丸く…そうそう」
私はだんだん力を抜いて行きます。もう〇の後半はタカシさんが書いていることがしっかりわかりました。
「では、タカシさんに〇を書いていただきますよ。〇です。はい、お願いします!」
〇
書けました!
それもものすごく力強い〇!
見ていたイッシーも言ってくれました。
「わかりました!」
タカシさん、すごいです!
(続きます)
熱き心に(2)横線成功!
タカシさんはベッドに仰向けで、視線も天井の方をまっすぐ見る形で横たわっておられました。手は両腕とも体に沿ってまっすぐ置かれていました。
「タカシさん、こんにちは。イッシーの友人のたかぎくみこです」
タカシさんも緊張しておられるのか、視線もあまり動かず、一見しただけだとまだ表情の変化などはわかりません。
続いて私の行っているヨミトリという介助付きコミュニケーションの活動についてお話しさせていただきました。
「病気や事故の後遺症で、四肢麻痺や発語不能により覚醒しているのに、自分の意思を表出できない方が、字を書く動作を頭で思い浮かべる際に手に伝わる微細な動きを拾います。その拾った一つひとつの線の縦、横、丸める等の微細な動作を、順に私の手のひらになぞっていくことで、一つの文字や記号を構成します。」
奥様がタカシさんのお顔を見て「一緒懸命聴いています」と言ってくださいます。
予定では音楽療法の後、ヨミトリをさせていただくことになっていたのですが、先生の到着までまだ少し間があるとのことで、少しでもトライしてみようということになりました。
「要はタカシさんに字を書いていただくのですが、字を書く時は腕や手首を持ち上げてその状態をキープしたまま左右や上下に動かしたり線を丸めたりしますね。タカシさんは、今は自分でコントロールができなくて重力に負けて手が上がらないと思いますので、私が手を持って支えさせていただきますね。」
奥様にお聞きするとタカシさんは利き腕は右手ということなので、先ずは私の右手でタカシさんの右手首を下から支えます。そしてタカシさんに話しかけました。
「宇宙物理学者で神経難病のALSを患った故ホーキング博士が宇宙に行った時、
『宇宙では私は自由だ』
と言ったそうなんですよね。同じ仕組みかなと思うのですが、少しでも動きのある方の場合は、こうして手をお支えするだけで可動域ができて、より動かすことができることもあるんですよ」
タカシさんからははっきりした頷きとか表情の変化は私にはわからなかったのですが、でもしっかり聞いてくださっていることを確信しました。
「では、先ずは縦と横の線からいきましょうか。書くのは久しぶりでいらっしゃいますよね。横線を一緒に書いてみましょう。左から右へ。左から右へ。そうそう。今は私が少しリードしましたけれど、では私はタカシさんの手を支えるだけにしますね。横線書いてみていただけますか」
キャンバス代わりの私の左の手のひらに触れる
タカシさんの右手人差し指の先から伝わる動きに
全神経を集中します。
ゆっくり左から右へ。
わかります!
「もう一度お願いします。」
左から右へ。1本の線。
「わかりました!タカシさん書かれていますよ。
線を左から右へ横に引っ張ったのが確かにわかりました。」
固唾をのんで見守っている奥様とイッシーの方に思わず叫びました。
奥様とイッシーが詰めていた息を同時に大きく吐きました。
「あー」
(つづきます)
熱き心に(1)5年の歳月
たかぎです。こんにちは!
新しくご依頼をいただいたヨミトリの活動報告をお届けします。
梅雨の真っ只中ですが、幸い小雨となったある日、
タカシさんをお訪ねしました。
タカシさんを支援している友人のイッシーが案内してくれて、行く道々イッシーからタカシさんの病状について聞きました。
タカシさんは神経難病による重度の障害で身体の自由を失い、
5年ほど前から発話もできなくなられたとのこと。
在宅で奥様が献身的な介護をされていて、
わずかな表情の変化から
タカシさんの日々の体調を把握し、気持ちを察しておられます。
身体は動かないし声も出せないけれど、
でも絶対わかっている。
奥様の信じる強い気持ち、夫の思いを伝えさせてあげたいという気持ちに、
イッシーが私のことを話してくれて、
ヨミトリをトライさせていただくことになりました。
「今日はね、音楽療法の先生が来られてバイオリンを弾いてくださる日なんです。
一緒にそれを聴いて、それからヨミトリをお願いします」とイッシー。
「わあ、素敵なプログラムですね。生の音は良いですよね~。」
「先生は著名なバイオリニストなんですけど、
音楽療法で、病気の方、障害のある方の心を癒す素晴らしい活動をしておられるんです」
「タカシさんもきっと楽しみにされているのでしょうね」
「はい。タカシさんが楽しめそうなこと、奥様がいろいろ考えられて。
本当に温かい素敵なご家庭なんです」
難病でお体の自由を奪われ、
言葉を発することができなくなって5年。
タカシさんのお気持ちはいかばかりかと
思いをはせながら、タカシさんのお宅にイッシーと向かいました。
「タカシさんのお宅はね、奥様が手仕事がとてもお上手で、素敵な作品がたくさん飾ってあるんですよ」
タカシさんのところへ向かう途中にイッシーが話してくれた通り、お宅には玄関先から可愛い布小物がたくさん! 真っ先にタカシさんにご挨拶に行かなければいけないところなのに、廊下で足が止まり、ついつい見入ってしまいます。
素敵な手作り作品の数々、そして迎えてくださった奥様の優しく明るい笑顔とおしゃれな装い。温かい雰囲気がお家を包んでいました。
初めてヨミトリする方とお会いする時は、
緊張します。
ちゃんとヨミトリできるかな。
その方が「わかっておられない」という想定は
私の中には一切ないので、
ヨミトリできない時は私の技能が足りないから。
これに尽きます。
せっかく書いてくださったのに
通じないとがっかりされるだろうなと思うと
緊張して読み取る私の手に力が入ってしまうので、
お会いする前に一呼吸。
イッシーの「わかっておられますよ」の言葉を胸に
タカシさんとお話ししたいなというワクワク感に集中し、
タカシさんのいらっしゃるお部屋に入りました。
「こんにちは」
(続きます)
さようなら、ケントさん
こんにちは、たかぎです。
ケントさんがご逝去されました。
妻のルミコさんと二人で静かな時を過ごし、
最後に一つ大きく息を吐いて旅立たれたそうです。
年末頃から少しずつお体の衰弱が進まれていましたが、私が1月半ばにお訪ねした時も、苦しそうなご様子はなく、いつも通りにお話しすることができました。
「ケントさん、こんにちは」
こんにちは。
「痛いところとかお辛いところ、ありませんか」
だいじょうぶ
いつも ありがとう
ちょうどNPOの仲間である裕ちゃんから、彼女の失敗談のメールが届いたところだったので、早速ケントさんに報告しました。
「ケントさん、裕ちゃんが自転車で高速疾走中に転んで膝を擦りむいちゃったそうです。それから、家ではお料理中に火を止めたばかりの鍋を降ろそうと思って、なぜだかお鍋じゃなくてその下の五徳を手で掴んじゃったんですって。なにか考え事でもしていたのですかね~。裕ちゃんってクールビューティーという雰囲気なのに、案外おとぼけですよね」
ケントさんが書かれました。
おもしろい
お体を動かすことができず、言葉を発することができず、お顔の表情を作ることもできませんが、ケントさんは短い単語ながらも「おもしろい」とすぐ書かかれ、きっと笑いながら書いてくださったような気がしました。
「ほんとに、笑えますよね」
おもしろい はなしが きけて たのしい
先に大丈夫と書いてくださったものの、お身体の何か変調を感じられていたのでしょうか。ケントさんが続けて綴られたのは、施設のスタッフの方々への感謝の言葉でした。
(元気になって)ここから でるのは むりみたいだから
どうしても いって おきたい
ここのひとたちは とても いいひと
おれいを いいたい
ケントさんの心からの思いだということが伝わって来ました。ご自身の身の不自由さを一切嘆くことなく、ご自分に関わってくれるスタッフさんへの感謝の思いを表されるケントさんに、胸が一杯になりました。
その後また、たわいもない話をしばらくしました。
帰る時間となり、「ケントさん、そろそろ失礼しますね」とご挨拶すると、
ケントさんは
ありがとう
また きてね
と書いてくださり、これがお別れとなりました。
前々回までのブログ「ケントさんと初めてヨミトリした日」で、ヨミトリの経過のことが途中になってしまっていましたが、結論を言うと、最初にトライした瞬間から、ケントさんの書く文字ははっきりと読み取ることができました。
脳の広範囲の損傷の画像や診断から、意識レベルの厳しい状況を説明されていたルミコさんは、最初とまどっておられました。
でもケントさんが以前から私のヨミトリの活動の話を熱心に聴いてくださって、時にアドバイスをくださっていたこと。どのように書いてどのように読み取るのかということについてもよくご存じであったことをお伝えすると、「夫は意思疎通できる道を自分で作ってあったのですね」と喜んでくださいました。
また、「お忙しい中いつも足を運んでくださってありがとうございます」と、折に触れ言ってくださるルミコさんに、私の胸の内を聞いていただいたことがありました。
それは、ケントさんのお見舞い、ご支援する立場に専心しなければいけないのに、NPOの活動を共にし何でもご相談していた時と少しも変わらず、今はヨミトリの実践に共に取り組む仲間としてたくさんの気づきや教えをくださるケントさんに、ありがたい、という思いがあって、お体もまったく動かせず、言葉を発することもできない極限の状態におられるケントさんに、ありがたいなどと思っている自分は何なのだという、申し訳ないという葛藤でした。
その時にルミコさんは、「夫がこんな状態であっても、この状態であることで誰かの役に立てているのなら、そしてそれをありがたいと思ってくださることは、私にとっても救いですよ」と言ってくださったのでした。 私はルミコさんの言葉に救われました。
ご葬儀の際、多くの方に慕われたケントさんのお人柄が語られ、「良いことは引き継がれる」と説かれた言葉がとても心に残りました。
NPOの活動でも、ケントさんはいつも前向きで斬新なアイデアや意見を示してくださり、私の悩みや迷いにもいつも温かい励ましの言葉をかけてくださいました。それは、倒れてまったくお体を動かせなくなってからも変わりませんでした。
いいことだ
たかぎさんが いいと おもうことを
どんどん やって
ケントさん、本当にありがとうございました。
ケントさんのベッドサイドには、いつも、ケントさんを慕う人々が集っていましたね。
ケントさんを囲んで、それまで知らなかった人達の新しい出会いと、深い親交の場が広がって行きましたね。
明晰な頭脳
進取の気性に富むダイナミズム
困難に立ち向かう強さと共に
人情の機微がよくわかる繊細さ
すべてをお持ちだった、人生の偉大な先輩。
最後まで希望を失わず、力強く生を全うされたケントさん。
お疲れ様でした。
さようなら、ケントさん。
たくさんの学びをありがとうございました。
どうかこれからも、
天国から見守っていてください。
ケントさんに合格点をいただける日をめざし、
私はこれからも全力でヨミトリます!
あけましておめでとうございます
たかぎ(@goisshoshimasho)です。
あけましておめでとうございます!
昨年12月はなかなかブログの更新をすることができませんでしたが、
ヨミトリの活動は定期的におこなっておりました。
また、少しずつでも、ヨミトリで聞かせていただいた障がい当事者の方の紡ぐ言葉を
このブログで発信していきたいと思います。
そしてそれが、まだ「わかっていないと思われているけれど、実はわかっている」あなたにつながりますように。
イギリスの女性で、2011年に脳卒中(Stroke)を発症し、リハビリを経て社会復帰、現在は脳卒中予防や発症後の回復への周囲の人の理解など、啓発活動に尽力しているKate Allattさんという人が、
No Promises, But Possibilities.
という言葉を掲げています。
「確約や見込は無いけれど、可能性はある」
という日本語になると思います。
ヨミトリも、必ず読み取れますというお約束はできません。
でも、確約はできないけれども、
どんな状態にも読み取れる可能性はきっとあります。
ご家族や周囲の方に、その可能性を信じて、
あきらめないで、希望を持っていただきたいです。
あなたがわかっていること、伝えたい。
一緒に伝えていきましょう。
今年もどうぞよろしくお願い致します!
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初めてケントさんとヨミトリした日(3) 迷い
こんにちは、たかぎ(@goisshoshimasho)です。
「初めてケントさんとヨミトリした日(2)眠っているとは限らない」の続きです。
一刻も早くケントさんの言葉を読み取りたい!
読み取らなければ。
そう思いながら、同時に、
もし取れなかったら…という弱い気持ちがもたげました。
もケントさんが書けなかったら、
または、何らかの文字の信号が来ても、私がそれを読み取れなかったら、
このままケントさんはずっと思いを伝えられずに
閉じ込められたままで過ごすのか。
その現実を突きつけられたらケントさんは絶望してしまうのではないか。
おそらくとても短い時間であったであろうその瞬間に
願いと不安と祈る気持ちが目まぐるしく巡りました。
でもケントさんの視線は私から逸れない。
やってみるしかない。
ずっと試行錯誤しながら一緒にやってきた小脳出血の美津恵さんとの取組みを思い出しました。
ケントさんともできるはず。
もし読み取れなくても
読み取れるまでケントさんのところに通うまでだ。
仲間なんだから、何度でもトライさせてもらえばいいじゃないか。
友として絶対にあきらめていない気持ちを伝えることが大切なんだと。
今、やるしかない。
とにかく、ルミコさんに、私がこれからやろうとすることをお話しして了解を得なければ。
通常は、全身性の麻痺があり発話できない方と直接知り合うことは、その状況上不可能です。ご家族や支援者の方が「きっとわかっている」と信じて、ご相談をされて来られない限りは当事者の方とつながることはできません。
たまたまケントさんは、大切な友人であり、複数のNPOで共に活動する仲間であり、そしてその内の一つの団体では大きな行事を控えていて、携帯にはその連絡事項や打ち合わせの予定などの回覧メールも頻繁に入っていたため、ルミコさんはケントさんが関わっていた部分で運営上の支障や迷惑をかけてはいけないという気遣いで私に連絡をくれたのでした。
ヨミトリのこと、どのように話したらよいだろうか。
絶対読み取れるという確信はない。
やりますと言って、読み取れなったら?
また同じ迷いが。
ケントさんの視線は、
躊躇している私の方にずっと向いていました。
「大丈夫、やってみて」と言われているような。
ケントさんの目の光が私を一歩前に踏み出させてくれました。
私はルミコさんに言いました。
「あの、多分なんですけど、ケントさんと意思疎通できると思います」
(続きます)
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初めてケントさんとヨミトリした日(2) 眠っているとは限らない
こんにちは、たかぎ(@goisshoshimasho)です。
「初めてケントさんとヨミトリした日(1)知らせを受けて」の続きです。
お部屋の入口で妻のルミコさんから、今までうとうとしていたと聞いたケントさんですが、「ケントさん、たかぎです」と声をかけると、ケントさんの顔が一瞬にしてくしゃくしゃに。泣き顔のようになられました。
「たいへんでしたね」と続けると、また泣き顔に。そして目を閉じました。
ケントさんはそのまま目を開けません。また眠ってしまわれたのかな。そう一瞬思いましたが、私は美津恵さんの言葉を思い出して、続けて話しかけてみました。
「ケントさん、まぶた重いですか。」
ケントさんがぱっと目を開け、また顔を崩して泣き顔になりました。
「上げるの大変ですよね。今、目が閉じているからといって意識がないとか、眠っているわけではないですよね」と言ったら、また泣き顔に。
小脳出血で倒れ1年半植物状態とみなされ、意識があることがわかってからも意思の疎通は最初困難を極めた美津恵さんとのやり取りが可能になってから、美津恵さんは自らの言葉でいろいろなことを教えてくれていますが、その一つが「目をずっと開けているというのはたいへん。口で「起きている」と言えないけれど、目が閉じたままだからといっても眠っている時ばかりではない」ということでした。
目を開けられない。眠いわけではないのに、目を開けていたいのに、瞼が重くて長く開けていられない。
という状態もあることを美津恵さんが教えてくれて、そして今、それがケントさんの置かれている状況を理解する大きな助けになっていました。
ケントさんは、四肢麻痺で体を動かすことも言葉を発することもできないけれど、ルミコさんと私の会話の途中のすごく良いタイミングで顔をくしゃっとして泣き顔になられるので、私は、ああ、これは全部わかっておられると確信しました。
ケントさんは美津恵さんのように、きっと書ける。
書いていただきたい!
でも、果たして私に読み取れるだろうか。
ケントさんが自分では動かせないその両の腕・手を目の前にして
怯む自分がいました。
そんな私をケントさんはじっと見ています。
その目には強い光がありました。
やってみて!
そう促されているように感じました。
(続きます)
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初めてケントさんとヨミトリした日(1) 知らせを受けて
こんにちは、たかぎ(@goisshoshimasho)です。
ケントさんと初めてヨミトリした日のことを何回かに分けて書きたいと思います。
ケントさんが2度めの重い脳血管疾患で倒れたとの妻のルミコさんからの知らせに、私は声を失いました。俄かには信じられませんでした。
その少し前に、共に活動するNPOのカフェで一緒にお昼を食べたばかりだったからです。ケントさんとは別の国際交流・共生のグループでも一緒に活動していて、その団体ではALS(筋委縮性側索硬化症)患者さん支援のコンサートを2か月後に控えていました。収支の見込みが甘い私に、ケントさんがかつての事業経営のノウハウを活かし、お昼を食べながら経費の積み上げ方法を教えてくれていたのでした。
しばらく不在になるというケントさんに
「コンサートのチラシがまもなく刷り上がって来ますから、次にお会いする時にお渡ししますね」
とお答えして、そろそろかと連絡をお待ちしている時に受けたのがルミコさんからのケントさんが倒れたという知らせの電話でした。
「一命を取り留めて、ようやく目を開けたけれども、体を動かせないし言葉も発せられない。耳は聴こえているようなんだけど…」
ただ「はい」と返事をしながら、カフェでのケントさんの笑顔を思い起こしていました。そんな状態になっていることがどうしても信じられませんでした。
でも周囲の会話に感情を表される時があるそうで、
「NPOの皆さんが心配してくださっていると伝えたら、顔をくしゃくしゃにして泣き顔になった」とのこと。
私は思わず、「それはすごい反応です。絶対コミュニケーション取れます!」と叫んでしまいました。
ケントさんは7年前に脳出血で倒れ、その後遺症で右半身に麻痺が残り、言語障害もありましたが、ルミコさんの献身的な介護と自身の意欲的なリハビリの継続で、私が最初にケントさんに出会った5年前に比べると最近はお話しもずいぶんスムーズになられていました。そしてその7年前の脳出血により言語を司る脳の部分にダメージを受けたと言われるものの、会話をしていて大きくかみ合わないことなどないばかりか、時間をかけて紡がれるその言葉は、日本語はもちろん幼少期の海外滞在で培った英語でもとても示唆に富み、なるほどと感じ入ることが多かったです。
病状がとても重いと聞きながらも、なぜか「大丈夫。ケントさんと絶対お話しできる」と信じる気持ちしか湧いてきませんでした。
知らせを受けた翌日、ケントさんのところに行きました。
(続きます)
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YOMITOL(ヨミトリ)って何ですか②
「YOMITOL(ヨミトリ)って何ですか①」の続きです。
美津恵さんの手も拘縮がありますが、固く握っていた手が従姉の久恵さんとの日々の懸命なリハビリの取り組みで、かなり可動域が広がってきました! お訪ねし始めてまもなく6年目に入りますが、今は手を取っても硬直せず容易に指を1本取って支えることができます。それどころか…。(実は最近たいへんなことが起こったのです!近々レポートしますのでお楽しみになさってください!)
ヨミトリを通して、あらためて当事者の方お一人お一人で障がいの部位も種類も程度も異なることを感じます。
そういう書字介助の一つの問題は、当事者の方が全身性のまひにより、声で話せず、独自で書くこともできないため、わかっていても与えられる刺激に対して反応できなかったり反応が弱い場合があり、結果意識がない、意識レベルが低い、その判定が難しいとみなされてしまうということがあり、
そういう状況下での介助付き書字ということで、本当にご本人が書いたのかという疑念を抱かれることがあるということです。控えめに書きましたが、最初はまず信じていただけません。
さらに、その読み取り方や伝える方法が実践者の数だけあるともいえる状態で、私は自分の家族や特定の身近な当事者に限定して書字介助を行うのではなく、ご依頼に基づき支援者としてそれを行っており、またその技法の習得を希望される方があれば指導や助言を行います。
自分の行っている書字介助については自分で責任を取りたい。
万が一、私の行う書字介助により何らかの齟齬が生じたり、好ましくない評価を得てしまった時に、介助付き指筆談の実践によって家族や大切な親しい人である当事者の尊厳を守っている方々、またその普及に尽力されている方々にわずかでもその影響が波及してはいけない。
その覚悟の表明として、私は自分が関わる書字介助に敢えてYOMITOL(ヨミトリ)という固有語を付けました。
理屈っぽいことを長々と書いてしまいましたが、少々乱暴な言い方になりますが、
名称は本当は何でもよいと思うのです。
文字を正確に読み取れていれば。
大事なことは、発話ができない、独自で書字ができない、それ故に、本当はわかっているのにわかっていないとみなされてしまっている方が確かにいるという事実です。
別の言い方をすれば、言葉を、意思を発しているのに、受けとる側がそれをキャッチできていない状態ともいえます。
あなたがわかっていることを伝えたい。
あなたの大切な人に、あなたの言葉をキャッチする方法があることをお伝えしたい。
あきらめないでください。
希望を持ってください。
一緒に伝えて行きましょう!
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YOMITOL(ヨミトリ)って何ですか①
こんにちは、たかぎ(@goisshoshimasho)です。
新ブログタイトル「今日もヨミトル!」での記念すべき最初の投稿です!
以前予告した、皆さまがお寄せくださったご質問にお答えするQ&Aシリーズの第1弾をお送りします。
質問:そもそもYOMITOL(ヨミトリ)って何ですか?
先ずおことわりです。YOMITOL(ヨミトリ)は、私の造語です。
何のことかといえば、主に、病気や事故の後遺症により話したり(音声言語)書いたり(書字・〇×等)できなくなった方の手に自分の手を添えて、当事者の方が書く一文字一文字を自分のもう片方の手のひらで読み取り、その文字の連続から単語や文意を把握する手法です。介助付きコミュニケーションの一種である書字介助を、私のコミュニケーション支援の活動において技法として用いる際に、YOMITOL(ヨミトリ)と呼んでいます。
たかぎは、2013年9月に国学院大学人間開発学部教授 柴田保之先生がコーディネートされている重度の障がいを持つ当事者の方々の意見を聞く会で初めてその書字介助の方法を見て、体験しました。その際、担当してくださった先行実践者の方から「指談」という言葉で説明を受けました。
※本ブログにて柴田先生のお名前を出させていただくことは先生に快くご了解をいただきました。また、私の行っているヨミトリの活動についてご報告させていただいた点についても、「地道な取り組みに心を動かされました」と温かいお励ましの言葉を頂戴しました。柴田先生、ありがとうございました!
当然のことながら障がい当事者の方お一人お一人は、障がいの種類、程度もそれぞれ異なり、特に重度の脳梗塞の後遺症により手の拘縮がひどい場合は、指では書けない時もあり、そういう場合は、こぶしをペンに見立てて文字を書いていただいたりします。
ケントさんは両手とも拘縮していて、その硬さも日によって違うので、お訪ねした日の状態で、指やこぶしや、また肘で読み取ることもあります。
(続きます)
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