旧)今日もヨミトル!

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初めてケントさんとヨミトリした日(1) 知らせを受けて

こんにちは、たかぎ(@goisshoshimasho)です。

ケントさんと初めてヨミトリした日のことを何回かに分けて書きたいと思います。

 

ケントさんが2度めの重い脳血管疾患で倒れたとの妻のルミコさんからの知らせに、私は声を失いました。俄かには信じられませんでした。

その少し前に、共に活動するNPOのカフェで一緒にお昼を食べたばかりだったからです。ケントさんとは別の国際交流・共生のグループでも一緒に活動していて、その団体ではALS(筋委縮性側索硬化症)患者さん支援のコンサートを2か月後に控えていました。収支の見込みが甘い私に、ケントさんがかつての事業経営のノウハウを活かし、お昼を食べながら経費の積み上げ方法を教えてくれていたのでした。

しばらく不在になるというケントさんに

「コンサートのチラシがまもなく刷り上がって来ますから、次にお会いする時にお渡ししますね」

とお答えして、そろそろかと連絡をお待ちしている時に受けたのがルミコさんからのケントさんが倒れたという知らせの電話でした。

 

「一命を取り留めて、ようやく目を開けたけれども、体を動かせないし言葉も発せられない。耳は聴こえているようなんだけど…」  

 

ただ「はい」と返事をしながら、カフェでのケントさんの笑顔を思い起こしていました。そんな状態になっていることがどうしても信じられませんでした。


でも周囲の会話に感情を表される時があるそうで、

NPOの皆さんが心配してくださっていると伝えたら、顔をくしゃくしゃにして泣き顔になった」とのこと。

私は思わず、「それはすごい反応です。絶対コミュニケーション取れます!」と叫んでしまいました。

 

ケントさんは7年前に脳出血で倒れ、その後遺症で右半身に麻痺が残り、言語障害もありましたが、ルミコさんの献身的な介護と自身の意欲的なリハビリの継続で、私が最初にケントさんに出会った5年前に比べると最近はお話しもずいぶんスムーズになられていました。そしてその7年前の脳出血により言語を司る脳の部分にダメージを受けたと言われるものの、会話をしていて大きくかみ合わないことなどないばかりか、時間をかけて紡がれるその言葉は、日本語はもちろん幼少期の海外滞在で培った英語でもとても示唆に富み、なるほどと感じ入ることが多かったです。

 

病状がとても重いと聞きながらも、なぜか「大丈夫。ケントさんと絶対お話しできる」と信じる気持ちしか湧いてきませんでした。


知らせを受けた翌日、ケントさんのところに行きました。

 

   (続きます)

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